Home > 商品紹介 > ジョージナカシマ > プロフィール

ジョージナカシマ

プロフィール

ジョージナカシマ

ジョージ・ナカシマは1964年、彫刻家・流政之先生の薦めで来日し、高松を訪れました。地元讃岐の木工・漆・石などの職人達を中心とする運動「讃岐民具連」を知り、おおいに共鳴、自らその一員となったわけです。しかし、当初は流さんのアトリエを見学するだけのつもりで香川に来たそうです。アトリエにあった民具連のあんどんを見て興味をしめし、建具屋さんの小西さんと意気投合。「讃岐民具連」に積極的に参画、自身のデザインした家具製造先として、桜製作所との付き合いが始まりました。
※詳しくは「木の仕事」(住まいの図書館出版局 住まい学大系085 ¥2,300 税別)をお読みください。

彼はワシントン州のシアトルで育ち、ワシントン大学で森林学を二年間学んだ後、建築学を二年間学び、ハーバード大学大学院でデザインの勉強をするために奨学金を得ましたが、バウハウスを嫌い、マサチューセッツ工科大学へ転校、建築学修士号を取得しました。

卒業後は、世界一周の旅(アメリカが大恐慌の時代)に出て、パリなどを訪れました。その途中の戦前の日本で、父の友人の紹介でチェコ人の建築家アントニン・レーモンドの設計事務所に席をおき、建築設計の仕事をしていました。日本建築士の草分け時代の事で、当時の同僚には前川國男や吉村順三などが、後輩には丹下健三もいたようです。その後インドなどを歴訪し、「木匠」としての精神的な基礎部分を形成する、貴重な体験を数多くしたようです。アメリカに戻ると、第二次世界大戦のため日系人として収容所に収監され苦労しましたが、そこで知り合った家具職人に家具の作り方を教わったようです。

戦後、米国に帰国したレーモンドを頼ってニューホープに移り住み、家具製作を始めました。アメリカでは1952年建築学会のゴールドメダルを受けるなど、早くから認められた作品はスミソニアン博物館、シカゴ美術館などにあり、1986年にはメトロポリタン美術館ジャパンギャリーの一室の家具をすべてひとりで製作しました。日本でも東京国立近代美術館、東京都現代美術館などに作品が置かれており、文字通り世界的に知られた木工家具作家で、木工家としてパイオニア的な存在の一人です。

年譜(1905~1990年)

1905年 ジャーナリストでアメリカに移住した中島勝治と寿々の長男としてワシントン州スポーケーンに生まれる。
1923年 ワシントン大学に入学。2年間林学を専攻、その後建築学に転向。
1929年 ワシントン大学卒業後ハーバード大学大学院に進むが、すぐにマサチューセッツ工科大学(MIT)に移籍する。
1933年 世界一周の旅に出る。ロンドン・パリに滞在。ル・コルビュジエのスイス館の建築現場に足しげく通う。
1934年 パリを発ち、インド・中国経由で日本に向かう。東京蒲田の母方の祖母の家に落ち着く。 帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、東京に事務所を開設した A・レーモンドの建築事務所に入所。同僚には、前川國男・吉村順三がいた。
1935年 軽井沢聖パウロカトリック教会の設計と家具の設計に携わる。
1937年 レーモンド建築事務所の現場管理者として、インドに向かう。 ヒンドゥー教の導師と共に暮らす生活共同体の居住施設の設計に携わり、2年間修道者との共同生活を営む。
1939年 日本に戻り、独立して事務所を設立した前川國男の仕事を手伝う。そこでは大学を卒業したばかりの丹下健三が所員のひとりだった。
1940年 アメリカ生まれの英語教師岡島マリオン(すみれ)と婚約、戦争が始まりそうなので、ワシントン州に戻る。
1941年 マリオンと結婚。シアトルからカリフォルニアまでアメリカの建築視察旅行に出掛ける。 フランク・ロイド・ライトの仕事に失望し、自身が最初から最後まで統合できる新しい職業を見つけることを決心。家具の世界に踏み込む。
1942年 太平洋戦争のため、アイダホ州ミニドカ・キャンプに家族とともに抑留される。 そこで日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得る。
1943年 A・レーモンドが経営するペンシルヴェニア州ニューホープの農場に家族で移住。農場で働く。
1944年 ニューホープ近郊のペンシルヴェニア州バックス郡の小さい家のガレージを工房として 、 デザインから製作まで一貫した家具作りを始める。
1946年 ある地主から3エーカーの土地を譲り受け、ノール社のため量産向けの椅子(アームチェアー)を発表。
1957年 ニューホープのコノイド・スタジオ完成(自身の設計)
1964年 インドのアーメダバードの国立デザイン研究所に向かう途中来日。早稲田大学で講師を務める。 流政之の紹介で、高松を訪問。1963年に設立された讃岐民具連と親交を結ぶ。 独自の一貫生産による木工業の理念を教え始める。
1968年 第1回「ジョージ・ナカシマ」展開催(小田急ハルク)。〈ミングレン〉シリーズの家具を発表。
1969年 コノイド・スタジオの敷地内に民具連美術館が開館。ベン・シャーンが美術館の外壁をモザイク壁画で飾る。
1970年 第2回「ジョージ・ナカシマ」展開催。
1973年 第3回「ジョージ・ナカシマ」展開催。
ロックフェラー邸の設計を吉村順三が担当、220点以上の家具をナカシマが製作した。
1976年 永見眞一がニューホープ ジョージ・ナカシマのスタジオを訪問。
1978年 第4回「ジョージ・ナカシマ」展開催。
1981年 『The Soul of Tree - A Woodworker’s Reflections』,(『木のこころ』SD選書、鹿島出版会)を出版。
1982年 第5回「ジョージ・ナカシマ」展開催。
1987年 第6回「ジョージ・ナカシマ」展開催。最後の来日。
1988年 第7回「ジョージ・ナカシマ」展開催。娘のミラ・ナカシマが代理として来日。展示指導を行う。
1989年 「ジョージ・ナカシマ:フル・サークル」回顧展開催。全米を巡回。
1990年 ペンシルヴェニア州ニューホープにて病没。
1991年 第8回「ジョージ・ナカシマ」展開催。
1993年 「木のこころ-ジョージ・ナカシマ」展開催。
小田急美術館 富山県立近代美術館 北海道立旭川美術館 大丸ミュージアム・梅田
このページの先頭へ